親から子供への無償の愛は幻想ではないだろうか

私は、2年前に離婚しています。離婚理由は性格の不一致という事で元妻側から申出でした。話すと長くなりますので、この点は割愛します。ただ、浮気、DV、借金・・・などのメジャーな理由ではありません。

当時3歳だった子供は今、5歳になり定期的に会う事が出来ています。東京ドームシティが大好きで、もう10回以上行ってます。離婚前は、あの笑顔をいつまで見ていられるのかなと時々考えていました。高校生になったら、思春期だし話もしてくれなくなるのかなとか、いつまで一緒にお風呂に入ってくれるかな、もし結婚式でバージンロード歩くときに泣かないようにしようとか、かなり先のことまで考えていましたが、一緒に生活すること自体が出来なくなり、寂しい毎日を過ごしています。

たまに会う子供は、いつも通りただ一緒に行きたいこと、やりたいことを私に言ってきて2人で楽しく遊んでいます。静かな夜に良く考えます。親と子供の関係性、自分は親に対しどのような感情をもっているか?どのように育てられ、どんな性格なのか、どんな価値観を持っているのか。

そして、今、タイトルに書いたことを感じています。親は子供に期待してしまいます。これは、各家庭様々だと思いますが、親として子供に思うことの代表格としては、こんなことを思うのではないでしょうか?

やりたいことをやって欲しい
挨拶が出来る子になって欲しい
勉強が出来る子になって欲しい
運動が出来る子になって欲しい
英語などが話せてグローバルになって欲しい
明るく元気な子になって欲しい
愛する人を見つけて結婚して欲しい
子供を作って欲しい

そして、どの道を通ったとしても全ては結果的に幸せになって欲しいというものだと思います。しかし、これは親が子供に対して見返りを求めてることになるのではないだろうかと考えています。「子供が幸せという状態」を見ることで、自分(親)が幸せを感じるということです。そうなると見返りを求めた愛の形となります。

そのように考えて逆にしてみると、しっくり来た感じがしました。無償の愛は、親から子供ではなく、子供から親へのものなんではないでしょうか。どんな外見をしていても、性格が悪くても、会社で評判が悪くても、稼ぎが悪くても、笑ってなくても子供はママ・パパ問わず、屈託のない態度や笑顔で接して来ます。それは、世界の中心が両親だからだと思います。

そして、子供は少しずつ大人になって無償の愛を両親に与えることが出来なくなり、今度は無償の愛を受け取る側になっていくんだと考えています。

夏の終わりの静かな夜にふと考えてことを書いておこうと思いました。