今日は気分がいい

1年半前くらいに離婚を経験した。当時3歳の娘がいて今はもう5歳。月に2回程度会っている。離婚した日、世界の全て崩れていく感覚、身体の一部がもぎ取られる感覚に襲われた。

 

自分は、夫として落第点をつけられたことが最も苦しかったんだと今思う。自分の悪かった点としては、喧嘩した際に攻撃的な言葉や態度、スキンシップや思いやりを怠ったことだと考えている。自分の中では許容範囲だと勝手に勘違いしていた。元妻はそれが我慢出来なかったのだと思う。

 

お互いに自分はそんなに悪くないと思っているのだろう。自分は、今も苦しみの中にいる。体調は徐々に良くなってる感じはするが、睡眠薬精神安定剤を常用している。なぜ、自分だったのか・・・自分の人生の中に離婚という事象が存在するという事を全く想定していなかった。それが、1年半経過してやっと受け入れてきている感覚がある。

 

気持が無くなった・興味が無くなったから離婚したいと言われた。夫婦にはそういう時間もあって、そういうのを乗り越えて夫婦になるんじゃないのかと何度も説得、話し合いを行ったが離婚したいの一点張りで、不眠症や急な不安感、手足のしびれ、希死念慮など体調不良に襲われた。そんな中で毎日、いつ離婚出来るのかと言葉と態度で追い詰められた。そして、もう無理と判断して離婚届に印鑑を押した。

 

離婚して2~3カ月後に、子供から新しいパパが出来るんだよと聞かされた時に、怒りを覚えた。離婚翌日に出会ったなど・・・考えにくいと思った。

 

全てのマイナスな感情を経験した。怒り、憎しみ、悲しみ・・・ここまで深く考え、自分と向き合ったことは、今まで経験したことがなかった。本質的な意味で自分という人間の価値や行動パターンなど客観的にみることが出来るようになった。

 

そして、悲しみの渦中にいる人を救う言葉など存在しないこともわかった。自分で立ち直るしかないのだ。「やまない雨はない」などの言葉をかけられたが、憤りを覚えた。安全地帯にいる人からの励ましが苦しかった。放っておいて欲しいと思った。人によると思うが、同じ立場で心のシンクロ率を高めて相手を理解するためには、似たような経験をした人にしか理解できないと思っている。

 

 

どの親も「子供のため」と良く考えるがそれは未来の子供が、その事象、出来事などに関して良かった、成長できたと思えることだと思う。だから、子供のためにすることに正解など存在しない。それは、数十年先に子供本人が判断することなのだ。

 

今日は、なぜか気分が良くて少し深く思い出してみようと思いここに、想ったことを書いた。