2年経過してもおさまらない怒りの感情

離婚には、大きなエネルギーを必要とする。そして、あらゆる負の感情を経験する。言った側、言われた側、その時の状況などにもよるが自分は言われた側だった。修復しようと何度も謝罪し、話し合ったが理解を得られなかった。人間は完璧ではない。確かに自分に悪かったところがあるのは事実だ。だけど最愛の子供と離れて暮らすことがここまで辛いことだと予測できなかった。ある程度の辛さは想定していたが、はるかに超えるものでそれは今でも継続している。

身体的物理症状
足のしびれ
睡眠障害
摂食障害(過食)

精神的症状
自己肯定感の欠如
抑うつ状態の継続
集中力の欠如
希死念慮

精神安定剤デパス睡眠薬を飲みながら、なんとか2年が経過しようとしている。やっと2年だ。長かったような短かったような2年。仕事も継続しているが、パフォーマンスは確実に落ちている。重要なポジションも外された。何のために仕事をしているのかわからなくなる時がしばしばある。なぜこのような結果になったのか、なぜ今自分は一人なのか・・・相手に対して、自分に対しての怒りの感情を持ち続けている。自分の身体を怒りの感情が蝕んでいくのが分かる。

離婚は、自分にとって青天の霹靂だった。ちょっとした喧嘩だと思っていたが相手には違ったみたいだ。相手の自分に対する怒り、憎しみは大きくどんなに話しても離婚の1点張りだった。結婚生活の中で離婚したいと思うことや夫婦の危機は何度かあると思っていた。ただ、それをお互いに解決していくことで絆が強くなり、人生に深みが出てくるものだと思っていた。

まさか自分が・・・そんな気持ちが今でも継続している。時間が止まっているようなイメージだ。これは経験した人にしかわからないと思う。

子供に対して一般的環境を提供出来なかったこと、離婚というタブーを犯したことの2つが罪の意識を感じさせる。ただ、もうそろそろ自分を許しても良いくらい十分に苦しんだのではないだろうか。もう罪は償ったのではないだろうか。子供は月に1度会っているが元気そうで幸せそうだ。出来る限りの応援をしたいと思う。

今頃、のんきにパフェでも食べてるだろうと想像する。それを良かったと自然に思えるようになった時、自分の贖罪が完了したことになるのだろうか。永遠に続くように感じる地獄から早く解放されたい。何の心配もなく布団の中で安らかに眠りたい。自分を許してあげられれば前に進めるのだと思う。

自分と同じ境遇の人が、これを読んで少しでも楽になることを祈っている。怒りの感情を持つことは良くないのはわかっている。でも、怒りをエネルギーにして何とか生き抜いて、孤独に耐える人間もいるということだ。

どす黒い感情、憎しみ、絶望、怒り・・・

先週より心が邪悪に支配されている。人に対してどす黒い憎しみ、怒りが心の中で沸々と湧いてる感じだ。心と身体を蝕んでいく。なぜ、自分がこんな思いをしなければならないのか?そもそも、なぜこんなことになったのか?自問自答をしても答えなどない。あるのは事実だけで、それは今、自分は一人で絶望と孤独の中を2年間精一杯生きてきたということだけだ。

 

再婚するから子供との面会時間を減らす。

 

これは、認められることなのだろうか?子供はどう考えてるのだろうか。新しい家族、父親との交流も必要だろう。そこで生活していくことになるから、心地よい環境で育って欲しいと思っている。自分と会うことで、新しい父親やその親族が嫌な顔をするのだろうか・・・もし、そうであればそこで育つ我が子が、良い環境にいるとは到底考えられない。家族の中にタブーが存在するということになるからだ。

自分は、何に不安を感じているのだろうか?自分はどんな人間だったか?何が楽しいか?何に価値を見出していたか?もう、覚えていない。仕事にも集中出来ないでいる。

一方的に子供と引き離された父親。こんなにも苦しみ、葛藤があり地獄のような毎日になるとは思っていなかった。想定の範囲を大きく超えている。精神安定剤も1日の許容量を超えて飲んでいるが不安感が取り除けない。

全部がどうでも良くなってくる自分とここで諦めてはダメだと思う自分が戦っている。どっちが勝つのか?もうわからない。

予想していたが結局、こうなるのか。

元妻より、面会の時間を減らして欲しい、というか減らしますと連絡が来た。再婚するにあたり、新しい家庭に慣れるためであったり、新しい父親と過ごす時間を確保したいとのことだ。

離婚して3カ月程度で、子供が新しいパパが出来るんだよと話していたがその人のようだ。もう過去のことだが、どうしても離婚前からの関係性を疑ってしまう。離婚する際にその話をしたが、そんなことはあるわけがないと言ってたが、良く考えたらそうであっても、そうなのと言うわけがない。

そして、全てシナリオ通りに進められてるように感じる。

人の不幸の上に幸せは成り立つのだろうか。自らが招いたのかもしれないが、自分は全力で家庭を守ろうとした。娘の育つ姿を、笑顔を長く見ていたかった。それを全て奪われたように感じてしまう。事実は闇の中だ。

この孤独と絶望を理解出来る人は数少ないだろう。信頼を寄せていた人に裏切られ、命よりも大切だったものから遠ざけられる悲しみを。

先週からしんどい、辛い、苦しい・・・・

子供との別れ際は、辛くて切ない。笑顔でバイバイする。悲しみは全てこちら引き受けるようにする。次会えるのを楽しみにして、自分の涙で溢れそうな顔を笑顔で覆う。

離婚して、2年経過した。月に2度、3時間程度と宿泊で会っている。今だに頭の中で、自分の状況があまり理解出来ていない節がある。感情にも波があり、基本的に体調が悪い状態だが、異常に調子の悪い日が週に数回訪れる。

あの日から、自分は自分でなくなったように感じる。いつもの自分ではない別人になった。

あまり笑わなくなった
人とのプライベートな話を避けるようになった
幸せそうな家族を見ると落ち込むようになった
旧友とあまり連絡を取り合わなくなった
楽しいと感じることがわからなくなった
幸せと感じることがわからなくなった
眠れなくなった
睡眠薬・精神安定座を常用するようになった
足が痺れて痛い

恐らく、自分はうつ病自律神経失調症の類だと思う。2年、この状態なのだからそうだろう。ただ、心療内科には行ってないので、その診断は受けていない。

離婚直後は、死にたい衝動に何度も刈られたが、今はそういう気持ちはない。娘が20歳になる53歳までのあと15年、何とか生きよう思っている。這いつくばってでも生きてやる。

止まない雨はない、ポジティブシンキング、前向き、そのうちいいことある・・・前に大好きだった言葉たちを僕は嫌いになった。励ましてくれる人はたくさんいたが、こういう言葉が逆に落ち込みを誘う。安全地帯からの応援などいらない。

同じ状況、もしくは喪失体験をした人は、こんなことを言わない。何故なら、雨がいつ止むかわからないからだ。もう、2年土砂降りの人に、いつか止むよと言われても心に刺さらない。ただ、悪意がないのはわかってるので、作りたくもない笑顔でありがとうという。このエネルギー、子供との別れ際の笑顔に使いたい。

色々な感情が心の中を蝕んでいく。怒り、悲しみ、後悔、妬み、寂しさ、罪悪感。自責と他責が交互に頭の中を走り回る。いつまでこんな状態が続くんだろうか。

僕の怒りがいまだに収まらない理由

夫婦は、辛いこと悲しいこと、喧嘩しながら乗り越えて絆を深めるのでは?という先入観
離婚して3カ月程度で新しいパパが出来るんだよと子供から聞かされたこと
自分にも至らなかった点はあると思うが、お互い様であり父と子を離すことは子供の幸せを考えてるのか

ただ、女性は一度決めたらもう元に戻れないことはわかった。自分もここまで弱り切ってしまい、子供を引き渡す時も緊張して目を見ることもできなくなってしまった。仕事も調子が悪く、部署移動が決まった。自信に満ち溢れていて、怖いもの知らずで、問題が起きても何とかクリアにしていけてた自分はどこに行ったのだろう。別の形でも良いが、またあんな風に仕事がしたいと思う。

女性は、メンタルが強い。過去を振り返らない。ただ、それは子供が傍にいるからということを忘れないで欲しい。最愛の我が子がそばにいる。一人取り残された元夫は、残酷なまでの絶望感を背負いながら生きていく。この現実をシングルマザーには理解して欲しいと思う。DVなどがあった場合は別として、子供はパパが好きで、パパも子供が好きだ。それは、母親、父親のどっちがということでなくて、どっちも好きなんだ。

もし、明確な離婚でなく漠然と生理的に嫌になった、普段の行いが・・・などで離婚を考える人は踏みとどまって欲しい。今、悪いところに目がいってるだけなのだ。完璧な結婚相手などいない。一緒に過ごして、1年も経てば色々と問題点など浮かび上がってくる。その点で言えば、誰と結婚しても変わらない。恋愛の延長に結婚あるようにみえるが、これは違う。結婚したことにより、恋愛が生活にかわっていくのだ。いつまでも恋愛していたいという人は結婚しない方が得策だと思う。

離婚して2年、前進してるのか後退してるのか・・・わからない。

2年前の11月に離婚してから、不眠症に悩まされています。足に痺れ・痛みがあり、症状がひどいと眠れないというものです。睡眠薬精神安定剤は、振り返ってみると2年以上常用しています。 

 

仕事をしているのですが、1日に何度か急激な不安感、足の痺れなどの症状が発生して、その都度薬を飲んでいますが、ここ1カ月、オーバードーズ気味で、少しまずいと思っています。

 

2年も経過したのに、まだこの状態なのかを考えると気が少し滅入りますね。自分はここまで執着心の強い人間だったのかと、自分自身で驚いています。家庭を維持できなかった(みんなが出来てることが出来なかった)という事が、自分のプライドをズタズタにして、自己肯定感が欠落している状態が続きます。何をやっても自信がないのに、自信のある素振りを見せなければいけないことがストレスになります。

 

子供と月に1~2回会っていますが、帰りに泣きたいのを我慢して笑顔で送り出す時の悔しさや悲しさは、通常で考えられるものをはるかに凌駕します。とりあえず、オーバードーズだったとしても、ここを乗り切れば何か見えるかもしれないと思い、何とか2年過ごしました。

 

あの、全てが崩壊した日から700日近くの日を過ごす事が出来ました。死んでもいいかなとか何度も考えました。今でも頭をよぎることがありますが、子供の笑顔を思い浮かべるとそれは出来ません。勇気もありません。自分に出来ることをやろうと思います。

親から子供への無償の愛は幻想ではないだろうか

私は、2年前に離婚しています。離婚理由は性格の不一致という事で元妻側から申出でした。話すと長くなりますので、この点は割愛します。ただ、浮気、DV、借金・・・などのメジャーな理由ではありません。

当時3歳だった子供は今、5歳になり定期的に会う事が出来ています。東京ドームシティが大好きで、もう10回以上行ってます。離婚前は、あの笑顔をいつまで見ていられるのかなと時々考えていました。高校生になったら、思春期だし話もしてくれなくなるのかなとか、いつまで一緒にお風呂に入ってくれるかな、もし結婚式でバージンロード歩くときに泣かないようにしようとか、かなり先のことまで考えていましたが、一緒に生活すること自体が出来なくなり、寂しい毎日を過ごしています。

たまに会う子供は、いつも通りただ一緒に行きたいこと、やりたいことを私に言ってきて2人で楽しく遊んでいます。静かな夜に良く考えます。親と子供の関係性、自分は親に対しどのような感情をもっているか?どのように育てられ、どんな性格なのか、どんな価値観を持っているのか。

そして、今、タイトルに書いたことを感じています。親は子供に期待してしまいます。これは、各家庭様々だと思いますが、親として子供に思うことの代表格としては、こんなことを思うのではないでしょうか?

やりたいことをやって欲しい
挨拶が出来る子になって欲しい
勉強が出来る子になって欲しい
運動が出来る子になって欲しい
英語などが話せてグローバルになって欲しい
明るく元気な子になって欲しい
愛する人を見つけて結婚して欲しい
子供を作って欲しい

そして、どの道を通ったとしても全ては結果的に幸せになって欲しいというものだと思います。しかし、これは親が子供に対して見返りを求めてることになるのではないだろうかと考えています。「子供が幸せという状態」を見ることで、自分(親)が幸せを感じるということです。そうなると見返りを求めた愛の形となります。

そのように考えて逆にしてみると、しっくり来た感じがしました。無償の愛は、親から子供ではなく、子供から親へのものなんではないでしょうか。どんな外見をしていても、性格が悪くても、会社で評判が悪くても、稼ぎが悪くても、笑ってなくても子供はママ・パパ問わず、屈託のない態度や笑顔で接して来ます。それは、世界の中心が両親だからだと思います。

そして、子供は少しずつ大人になって無償の愛を両親に与えることが出来なくなり、今度は無償の愛を受け取る側になっていくんだと考えています。

夏の終わりの静かな夜にふと考えてことを書いておこうと思いました。

今日は気分がいい

1年半前くらいに離婚を経験した。当時3歳の娘がいて今はもう5歳。月に2回程度会っている。離婚した日、世界の全て崩れていく感覚、身体の一部がもぎ取られる感覚に襲われた。

 

自分は、夫として落第点をつけられたことが最も苦しかったんだと今思う。自分の悪かった点としては、喧嘩した際に攻撃的な言葉や態度、スキンシップや思いやりを怠ったことだと考えている。自分の中では許容範囲だと勝手に勘違いしていた。元妻はそれが我慢出来なかったのだと思う。

 

お互いに自分はそんなに悪くないと思っているのだろう。自分は、今も苦しみの中にいる。体調は徐々に良くなってる感じはするが、睡眠薬精神安定剤を常用している。なぜ、自分だったのか・・・自分の人生の中に離婚という事象が存在するという事を全く想定していなかった。それが、1年半経過してやっと受け入れてきている感覚がある。

 

気持が無くなった・興味が無くなったから離婚したいと言われた。夫婦にはそういう時間もあって、そういうのを乗り越えて夫婦になるんじゃないのかと何度も説得、話し合いを行ったが離婚したいの一点張りで、不眠症や急な不安感、手足のしびれ、希死念慮など体調不良に襲われた。そんな中で毎日、いつ離婚出来るのかと言葉と態度で追い詰められた。そして、もう無理と判断して離婚届に印鑑を押した。

 

離婚して2~3カ月後に、子供から新しいパパが出来るんだよと聞かされた時に、怒りを覚えた。離婚翌日に出会ったなど・・・考えにくいと思った。

 

全てのマイナスな感情を経験した。怒り、憎しみ、悲しみ・・・ここまで深く考え、自分と向き合ったことは、今まで経験したことがなかった。本質的な意味で自分という人間の価値や行動パターンなど客観的にみることが出来るようになった。

 

そして、悲しみの渦中にいる人を救う言葉など存在しないこともわかった。自分で立ち直るしかないのだ。「やまない雨はない」などの言葉をかけられたが、憤りを覚えた。安全地帯にいる人からの励ましが苦しかった。放っておいて欲しいと思った。人によると思うが、同じ立場で心のシンクロ率を高めて相手を理解するためには、似たような経験をした人にしか理解できないと思っている。

 

 

どの親も「子供のため」と良く考えるがそれは未来の子供が、その事象、出来事などに関して良かった、成長できたと思えることだと思う。だから、子供のためにすることに正解など存在しない。それは、数十年先に子供本人が判断することなのだ。

 

今日は、なぜか気分が良くて少し深く思い出してみようと思いここに、想ったことを書いた。